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ブログ05

ブログ05

男女関係の世界について

男女関係の基本は、絶対に女を踏まない事、双方向の関係だけを致す事、義理の父がいる

 私の場合は、二女が悪さを致したのを、そのお父さんが、返済致しました。お父さんが、私の本を、私の家まで、返しに来て下さったのです。二女、即ち、そのお母さんが、悪さをしたのを、お父さんが、返金致して下さったと。

 私は、彼女に、私の本を取られてしまうところだったのです。私の本、即ち、私の物、私のお金を取られてしまうという緊急事態だったのです。勿論、これをやった張本人は、私の妹の再臨協助霊であり、私の母親の再臨協助霊であると。夫婦関係というのは、これ程、熾烈な、苛酷な関係なのです。現在も、私の母は、定期的に、1ヶ月に1回、または、数回、県内の温泉に、その姉妹等と、1泊2日の泊まりに行っています。その支払いの為に、私はなかなか、入浴ができません。この間、ついに、シャワーだけに変更致してしまいました。もう、入浴を諦めたのです。もう、入浴代払えないと。入浴致すという事は、お湯=温かい水=女に浸かるという事だったのでしょう。統合失調症患者、精神障害者と致されて、クビに致されてから、入浴代が、超莫大、超膨大になりました。教諭の悪霊である再臨協助霊どもが、うるさくて、うるさくて、うるさくて、しょうがない時は、必死に支払いを致し続けて、入浴ができないという統合失調症患者の症状を克服致す為に、奮闘努力致し続けていましたが、ついに、外人の地位に成れたので、もう修了と。

 そもそも、女に入浴代を払えるわけ無いのだ。絶対に無理なのだ。だから、皆、シャワーの地位に成っていくと考えられます。書いている事の意味が今は解らない人もやがて、解るように成っていくと思われます。男女が何故、セックスを致すのかという事です。雄が女とセックスを致して、自分の得を返金致したら、セックスは終了という事です。子が親を踏まなくなったら、交尾も終了という事です。このように、世の中は、安定致したら、穏やかな生存状態に戻れるのです。即ち、中庸を得られると。この状態に成れたら、後は、質の追求の修行の世界に入っていく事ができるのです。私は、この質の追求しか、生きている意味、甲斐は無いと思っています、考えています、感じています。これを致し続けているのが日本霊界と。できるだけ、狭い存在に成っていくと。高く成る為に。最後は点、チョンに成っていくと。(私の補足:しかし、徳を積んだ分しか、高く成れないのです。100CCの水を限界まで細いシリンダーに入れると、どの位の高さに成るか、それが1000CCの水だったら、どうか。1億CCの水だったら、どうか。1兆CCの水だったらどうか、という問題なのです。この「水」を「徳」に変えれば、私が言いたい事が理解できると思われます。)

 これが霊位という事です。高い意識、境地にいるという事です。この高い意識を保つ為には、それを支えている徳を遣ってはならないという事です。それどころか、その高い意識、境地に於いて、さらに、徳を積む為に、より高い生き様を致し続けなければならないという事です。毎瞬、毎瞬、毎瞬、これを致し続けて、最期まで、徳を積み続ける為に、それだけの為に、我々は、生きている、生かされているのです。神は、この世を、霊界のさらなる進歩向上発展の為に、創ったのです。この世は、あの世の為に存在致しているのです。唯物論に陥ってしまうと、世の中が全く見えなくなってしまうと。無知になってしまうと。あとは、快楽の限りを尽くして、より深い地獄に堕ちていくだけという生き様になってしまうのです。唯物論者が、最低最悪の存在と。神との信頼関係を裏切り続けて、堕ちまくっていくと、必ず、最期はここに行き着く。最期と書いたのは、神との信頼関係が0%になると、霊的に死ぬからです。あとは、マイナス界、即ち、地獄界の存在と。私は、「さらば。」の世界と。

 私には、人類の神の副担任が無いので、地獄界が無いから。人類の神は、私に女を支払いできなかった。私よりも、遥かに、遥かに、遥かに、超遥かに、下っ端の存在だった。これが人類の神の現実と。この事を、非童貞である全ての私の上司の方々に、謹んで、ご報告致します。H20.12.15.月 2:09。即ち、人類はやがて皆、セックス卒業と成るという事です。地球卒業と。地球卒業証書授与致しました。

 指輪が支払い致されました。結婚指輪&婚約指輪。非童貞・非処女の方々は、指輪を着けないと、付けないと、世の中を踏むのでしょう。

指輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
婚約指輪
通常、左手の薬指にはめる。結婚式当日には、右手の薬指にはめたあとで、式の途中で左手の薬指にはめ直す。結婚した後は、結婚指輪と重ねて左手にはめることもある。
結婚指輪
結婚した夫婦がひとつずつはめる指輪。日本では左手の薬指が一般的だが、国や宗教によっては右手の薬指にはめる事もある。昭和40年頃まで日本ではポピュラーでは無かった習慣であるが、生活の欧米化に伴い増加した。また、紐を通して首から下げるカップルもいる。平凡社の「日本人の大疑問」1995年刊によれば、キリスト教で結婚指輪を認めるようになったのは11世紀ころであり、このころから左手の薬指にはめるようになったという。

 今、本を探したのですが、見つかりませんでした。処分致してしまったようです。指は家系の現実を現していると確か、書いてあったと思います。小指は娘と。砂糖、シュガーと。甘い体験の事です。一応、思いつくままに、書きます。親指は、親と。人指し指は自分と。中指は兄と。薬指は姉と。小指は妹と。さらに、右手と左手の区別について書くと、右手は主、左手は従と。心が主、体が従なので、体である左手に付ける、着けるのであると私は考えます。心が無い場合、即ち、体だけの場合、右手に付ける、着けると考えられます。或いは、体に於いて、結婚が完了致している場合、心に於いても、結婚致す為に、右手に付ける、着けるという事も有るでしょう。さらに、心、即ち、仏界に於いての結婚も完了致している場合、魂に於いても、結婚致す為に、さらに、左手に付ける、着けるという事も有ると考えます。体、心、魂と向上致していくので。(体が結婚致していないのに、心の結婚は有り得ない。さらに体と心が結婚致していないのに、魂の結婚は有り得ない。非童貞・非処女の方々は、体の結婚、体+心の結婚、さらに、体+心+魂の結婚と、どんどん、向上致していって、世の中の神柱と成っていかなければならないのです。こういうプライベートな世界を持てていれば、自分の相対者との信頼関係をさらに深めていきたい、高めていきたい、全身に広げていきたいと思うようになります。身も心も魂も一緒にいたいと、それも、いつも、一緒にいたいと思うようになります。身体は離れて、仕事を致していても、その心、魂に思い浮かんでいるのは、自分の相対者の事だけと。こういう生き様に成っていきます。これが信頼関係をやっている男女の状態と。完成夫婦へ向かっている男女と。この状態で、仕事を致していないと、県立の特学では、身体障害者の業を背負わされてしまうと私は考えます。そうならない為に、身体障害者の魂よりも、もっと上の生き様を致し続けるしかないのです。私は29歳の時から、これをクリア致しています。その時のパートナーは、身体障害者の業を背負わされまくっているので、近付けない状態ですが。「何をやっているのだ。しっかりしろ。」と私は思っているのです。)

 指輪の担任とは別の世界である、「生き様」の担任について触れました。その時、その時に於いて、私を育ててくださった姉の存在を私は決して忘れてはいないので、ここに記しておきます。(世の中には、姉が一杯、一杯、一杯いるのです。) 勿論、その分、妹育ても致し尽くしているのです。当たり前の事ですが。


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